たかの友梨、子供へのボランティアに対する思いとは?たかの友梨、子供たちへの思いをボランティア活動を通して

たかの友梨ビューティクリニックの代表であるたかの友梨さんは、エステ界のパイオニアとして有名な人物です。美容業界での人気が高いだけでなく、美のカリスマとしても知られている人物です。そんなたかの友梨さんですが、子供へのボランティア活動を熱心に行っていることはあまり知られていません。

そこで、この記事ではたかの友梨さんが子供へのボランティアに対する思い、そしてボランティア活動の内容などを中心に紹介していきます。たかの友梨さんの美容家以外の一面も知りたい方は、この記事を参考にしてみてください。

■たかの友梨さんの過酷な子供時代から現在までを紹介

画像引用:モアリジョブ

美容家のたかの友梨さんは、これまでどのような人生を送ってきたのでしょうか。

たかの友梨さんは、1948年に新潟県で生まれました。父は医師、母は看護師です。しかし、たかの友梨さんは3歳で養子に出されていたようです。鉄道員の家庭の養女となり、養父はとてもハンサムで養母もおしゃれな美人だったそうです。もちろん、たかの友梨さんはとても幸せだったそうですが、養父が住み込み先の姪っ子と密通していたことが養母に知られたことをきっかけに2人で家を飛び出しました。

養母は、新たに群馬県前橋市に住み込みで寮母をすることになります。ここで、養母は他の男性に求婚されて結婚した結果、生まれた子供は障がいを持っていたのです。その養母と再婚した男性は、また他の女性と駆け落ちをしてしまいました。ここで養母は実家にたかの友梨さんを預けたそうです。

ただ、預けられた家が大家族で働きながら食事の手伝いなどを必死に頑張りました。そして、また母を暮らせることを願った子供時代を送っていました。結局小学校は6回転校したものの、たかの友梨さんが小学6年生の時、養母が再婚しました。それでも、たかの友梨さんは一緒に暮らせたのがとても嬉しかったそうです。

思春期、そして新しい男性が父親になっているという複雑な環境で、たかの友梨さんは思いがけない言葉を聞きます。それは、先生がクラスメイトに言った言葉でした。

「高野さんはもらいっこなのに明るく元気にしているから見習いなさい」というものでした。

3歳に養子に出された事実を知らなかったため、この時たかの友梨さんはとても驚きました。その後、戸籍謄本を取り寄せて確認したたかの友梨さんは、自分が母親だと思っていた人は養母で、親戚だと思っていた人が本当の母親であることを知るのです。

このような出来事の中、思春期も重なって自ら入水自殺を考えたこともあったそうです。結局水が冷たくて入れなかったので自宅に帰ったそうですが、ここで死んだら犬死だと思い、ある時養母に言われた言葉を思い出します。

「腕一本で生きていけるように手に職をつけなさい」という養母の言葉を心に刻み、中学卒業後に理容師学校に通ったのが美のカリスマになる一歩となりました。

■美の追求は終わらず、現在も最新技術を取り入れている

たかの友梨さんは、子供時代にこのような複雑で辛い経験を何度もしてきました。そして、養母に自分の手に職を付けるように言われたことをきっかけに、理容師学校に進学します。卒業後は、前橋市の理容店で働きながら高校に通い、毎日睡眠時間を削ってまで練習していたそうです。

努力は実り、群馬県の理容コンクールで入賞するほどの実力を身に付けることができました。その後も、理容師には美容の知識も経験も必要になると考え、山野美容学校の通信制に通って美容師免許も取得しました。

さらに、本場のエステティックを学ぶために渡仏し、帰国後には美容器を開発したのです。実は若い時にたかの友梨さん自身もニキビに悩まされていたことがあり、自分の経験も美の追求に関係しています。

ここから今までの経験を多くの人に知ってもらうために、たかの友梨ビューティクリニック1号店を1978年にオープンします。しかし、たかの友梨さんはお店をオープン後も常に最新技術を学んでいくために、アメリカでカリフォルニア州の脱毛士ライセンスを取得したり、研究に没頭したりと、美を追求していきました。

■ボランティア活動にも積極的

たかの友梨さんは、美に関しても常に追求していく姿勢を貫き、美容関連で多くの受賞経験があります。そして、子供時代の複雑な生い立ちや経験を踏まえて、ボランティア活動も積極的に行っています。これは、社会貢献の一環として行っているものであり、50年以上前に児童福祉施設に出会い、養母がここで働きたいと頼みに行ったことがきっかけのようです。

たかの友梨さん自身もインタビューで、養母が生きる気力を失って児童福祉施設に子供を預けて自分が寮母になって働きたいと頼みにいったことを明かしています。しかし、この時の園長先生に、親がいる子を預かるわけにいかないこと、そして若いからいくらでも働けるから頑張ってと励ましてもらえたことが、心の支えになったとも明かしています。

この出来事以来、たかの友梨さんにとって前橋市にある児童養福祉施設「鐘の鳴る丘 少年の家」が心のよりどころになったと語っています。

■たかの友梨さんが行っているボランティア活動を紹介

たかの友梨さんがボランティア活動に積極的なことは、あまり知られていないかもしれません。

  • たかの友梨さんが取り組んでいるボランティア活動の内容を一部紹介していきます。
  • 1995年:児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の後援会長
  • 2009年:社会福祉法人「鐘の鳴る丘・愛誠会」へ幼児用遊具のある遊び場、野外ステージなどの屋内体育館「レインボーガーデン」、「レインボーフィールド」を寄贈
  • 2011年:特別養護老人ホーム「鐘の鳴る丘 愛誠園」で母の日エステボランティアを実施
  • 2012年:児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の子供19名を東京ディズニーランドへ招待
  • 2012年:児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」でのクリスマスイベント、クリスマスプレゼント寄贈
  • 2014年:児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」にてチャリティバザー実施
  • 2019年:「こども霞が関見学デー」に出展協力
  • 2022年:「こども家庭相談センター」と「鐘の鳴る丘歴史記念館」が併設された「RAINBOW GARDEN(レインボーガーデン)」改築記念とハロウィンパーティー実施
  • 2023年:児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」でハロウィンパーティを実施

たかの友梨さんは、1995年に児童養護施設「鐘の鳴る丘 少年の家」の後援会長に就任以降、毎年イベントへの参加やプレゼントを届けるなどの活動を行っています。子供への活動も熱心に行っていますが、特別養護老人ホームでは母の日イベントとしてエステティシャンがボランティア活動をしています。

母の日ボランティアでは、利用者の方にフェイシャルエステ、メイクなどを楽しんでもらうだけでなく、美容ケアによって気持ちを前向きにできるとされているのです。実際にケアをした高齢者の表情は明るく元気になるようで、このイベントを楽しみにしている方が多くいることもわかりました。

チャリティバザーも賑わいのあるイベントで、子供たちが笑顔になるので好評です。美容家としてだけでなく、ボランティア活動を通して子供から高齢者まで、多くの人を笑顔にするたかの友梨さん。

2018年5月9日(水)、岐阜県「鐘の鳴る丘 愛誠園」にて行われた母の日ボランティア [画像引用:たかの友梨BEAUTY CLINIC]


2019年5月5日、児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」にて行われたチャリティバザー[画像引用:たかの友梨BEAUTY CLINIC]

2023年10月31日、児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」にて行われたハロウィンパーティ[画像引用:たかの友梨BEAUTY CLINIC]

たかの友梨さん自身の生い立ちから子供たちへのボランティアに対する思いを紹介してきました。たかの友梨さん自身も複雑な生い立ちであり、今までも経験から少しでも子供ために何かをしたいという気持ちを持っていることがわかります。

そして、成功を掴んだ後も積極的にイベントやボランティア活動に取り組んでいる様子がみえました。この活動を通じて子供から高齢者まで、多くの人を笑顔にしています。今後も美容家としてだけでなく、ボランティア活動に積極的なたかの友梨さんに注目してみましょう。

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たかの友梨、子供へのボランティアに対する思いについてまとめました。